「ねたあとに」連想日記 その5 過去の遊び
- 作者: 長嶋有
- 出版社/メーカー: 朝日新聞出版
- 発売日: 2009/02/06
- メディア: 単行本
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紙相撲の力士に対する「ドーピング」の記述を引用。
あるとき誰かが、力士の内側にロウソクのロウを垂らすことを思いついた。重たくなるから畢竟、強くなる。仕掛けに気付いた者たちは、我も我もとロウを垂らし始めた。
エスカレートして、最後はほとんど一本分のロウソクをすべて垂らした力士が出来、それはロウソクになってしまった。(中略)全力士がロウまみれになって、紙相撲は終焉を迎える。なんだか悲しい歴史だ。
昨年の毎日新聞の記事より。リンク先が削除済みなので以下は既に記事をコピペしたサイトからの孫コピペ。
大河流れて:広州アジア大会 囲碁 韓国ペアが反則負け スポーツか、伝統文化か
◇勝負最優先で「事件」
中国の劉星七段が顔を真っ赤にしてメディアの取材ゾーンに現れ、何やら中国語でまくしたてている。ペアを
組む唐奕二段はその横をスタスタと無言で通り過ぎた。初めて「スポーツ」として大会種目となった囲碁。20日、先陣を切って「ペア碁」と呼ばれる混合ダブルスが
始まったが、初日から異様な光景が展開した。“事件”が起こったのは午後の2回戦、中国−韓国(朴廷桓八段、李瑟娥初段)戦だ。いずれも世界を代表する
男女のトップ棋士。優勝候補の筆頭格が1勝同士で激突した。序盤から互いに譲らない激戦が続いたが、
終盤に入って内容的には中国の勝ちが確定。ところが、まもなく終局かという時に、韓国ペアがまったく無意味な
地点への着手を始めた。持ち時間は各45分で、それを使い切ると内容がどうであれ自動的に負けになる。韓国は、持ち時間の少なく
なっていた中国の時間切れを明らかに狙っていた。十数手以上にわたり無意味な着手が続いたため、審判団が
協議。規定により、韓国の反則負けとした。韓国側は「ルールの中で行った」と弁明。関係者の一人は「まさか、
世界を代表する棋士がそんなことをするとは」と嘆いた。囲碁は古代中国が発祥の地と言われる。朝鮮半島を経て日本に伝わった。江戸時代、幕府が手厚く保護した
こともあり、飛躍的に発展、一般庶民に広がるとともに家元などプロ制度も生まれた。そうした中、囲碁は
勝負事であるとともに、伝統文化として定着した。日本は戦前・戦後と常に世界の囲碁界をリードしてきた。しかし、トップを維持していたのは十数年前まで。
以降は中国、韓国が台頭。現在、日本は3番手の位置にある。日本は昔から結果よりも内容を重視する風潮に
あったが、中国は囲碁をスポーツとしてとらえ、英才教育を展開。韓国も数年前からスポーツに位置づけ、
集団教育に力を注ぎ、腕をあげてきた。両国とも、良くも悪くも、勝負最優先の傾向にある。囲碁はスポーツなのか、伝統文化なのか。そうした議論に一石を投じた出来事だった。
ゲームにおけるルールとは「やっていいことの範囲を線引くもの」であって、その線の内側で行われた行為に対し「それはズルい」と批判することはあってはならないと考える。線が二本存在することになるが、それならはじめに引かれた線は何の意味があるのか。
ルールを制定したら、その範囲内で何が出来うるかも同時に考えるべきだ。考えが及ばずに「そんなこと」がされたとしたら、それはルールの不備だろう。
上の囲碁の話で言えば、時間切れを負けとするならば、つまり勝ち筋をもうひとつ増やしたということだ。どちらを狙っても勝てるのに、一方は認められてもう一方は批判されるとは。
「我々はスポーツマンシップに則り〜」と宣誓させることで、明文化していない部分までプレイの内容に口出しできるようにするのは卑怯なやり口じゃないだろうか。
力士にロウを垂らしだしたら、その行き着く先は予想できる。ルールの制定ひとつでゲームは生きも死にもする。なのでルールの制定には責任が生じるのだ。