「ねたあとに」連想日記 その8 ダジャレしりとり

ねたあとに

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いよいよ最終章。最後の「あそび」は、とても脱力するゆるいものだった。それも登場したのは最後から5ページ目から(!)

・要するにしりとり。しかし最後の文字を2文字取る。「りんご」なら「んご」を取る。
・取った2文字で始まるダジャレを考え、「思いついたらすぐいう」。「んご」→「ンゴール。ストラヴィンスキー
・言う順序などは決まっていない。思いついたら誰でも言ってよい。その後に続いてべつのダジャレが思いついたら追って言ってもよい。→「ンゴック探偵」
・プレイヤー達のなんとなくの判定により、そのうち一つを採用。その最後の2文字を取って、さらに続ける。

いわゆるしりとりは勝敗がつく遊びであるが、これは要するに大喜利だ。面白いダジャレを言ったらそれが次のお題に採用される。その「採用」を目指すゲームだ。



ここ2年ほどボードゲーム*1を遊んできたのだけれど、そのゲームの多彩さには本当に驚いた。「ボードゲーム」と聞くと要するに双六みたいなものしか想像できなかったからだ。時には競りで落札額をつり上げ、時には正体を隠して仲間のふりをして裏切り、時にはブラフをかけて相手を破産させる。そして時には動物クイズに挑戦したかと思えば、次の瞬間にはコインをはじき、手裏剣を投げ、粘土をこねている。ボードゲームの世界は実に広大である。



そんな広い世界だから、当然大喜利もしたりする。たとえば「私の世界の見方」(http://blog.livedoor.jp/familygames/archives/51502044.html)は親の出したお題に対して手札で答え、誰が一番面白いかを親に決めてもらうというものだ。答えに宣言があるという点では、大喜利というよりは「言語遊戯王」や「松ごっつ」の「面雀」と言った方が近いかもしれない。



実際やってみたが、これがおもしろい。ルールに不備がないわけでもないのに、単純に、親に選ばれたらそれだけで嬉しいものなのだ。








本書で遊ばれる「あそび」は、勝敗が決まるものもそうでないものも、盛り上げ役によってその楽しさが変わるものもそうでないものも、ある。「あそび」に制限はない。「あそび」は、ただあそべればもうあそびなのだ。

*1:あるいは卓上ゲームドイツゲームとも