バレないように必死で騙すことと、バレてもいいやと思いながら騙すこと。

ヤメ検落合洋司さんが“AKB48アイスの実CMは放送法上問題?”で@takapon_jp にバッサリ!…で、落合さんはブロックラッシュ。。
http://togetter.com/li/151415

この件、要は落合さんが「メディアはその気になれば大衆を操れるという事実に対して、なぜ誰も危機感を抱かないの?」という疑問なんだろうなと思う。そりゃあれだけたくさんいるAKBに新人が入りました→実は嘘でした、だけじゃ何てこと無い、誰も損しない出来事ではあるんだけど、この件はそれだけじゃないんだぞと。こうしてCGやら映像技術やらを「これはフィクションです」と断り書きなしに使ってもいいということになると次第に恐ろしいことになるんだぞという警鐘なんでしょうね。その辺がホリエモン以下「これの何が問題なの?」と返す人たちにうまく伝わってない気がします。
今はまだ「実はCGでしたー」とタネ明かししてくれるからいいけども、じゃあしなくなったらどうするんだと。いくらでも「事実でないことを伝えられる」メディアを放っておいていいのか、と。






で、これとはちょっと違うかもしれない話。誰かが自分を騙したとき、それが本気で騙そうとしたのと、対して労力もかけずに騙そうとした結果自分でその嘘に気付いた場合と、どちらが腹立ちますか。後者の方じゃないですか。だってそれってつまりバレてもそう大したことにならないだろうと思われてるってことですよね。ナメられてるってことですよね。



まためちゃイケの話なんですけども。あの番組を見るに当たってヤラセがどうとかそういうことを言う事自体が無粋だという空気になってますが、それでもやっぱり最近は違和感を覚えるんですよね。かつては合成までして(http://wajin.exblog.jp/2212534/)ストーリーの辻褄をあわせようとしていたのに、もう最近ではバレバレでもいいや、バレてもなんてことないやと製作されてる気がします。例えばこの間の期末テストの企画、どう見ても試験と答え合わせの収録は別の日ですよね。回答見てその日のうちに作れないものが多すぎて。つまりもう番組が視聴者をしっかり騙す気すらないんですよ。



騙そうとしてるうちはまだ良かった。それに対しこちらも見抜いてやろうと交戦する姿勢が持てたから。でも「余計なこと言うなよ空気読めよ」と出してくる場合はどうしたら。





うん。やっぱり疑問は持つべきだ。そもそもテレビって、視聴者を騙してもいいもんだったっけ?