「カメラを止めるな!」はおもしろくてもったいない


http://kametome.net/index.html



7年ぶりにここを更新することになるとは。




カメラを止めるな!」を見てきました。書きたいことができたので以下に。


以下ネタバレです。

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「ねたあとに」連想日記 その8 ダジャレしりとり

ねたあとに

ねたあとに




いよいよ最終章。最後の「あそび」は、とても脱力するゆるいものだった。それも登場したのは最後から5ページ目から(!)

・要するにしりとり。しかし最後の文字を2文字取る。「りんご」なら「んご」を取る。
・取った2文字で始まるダジャレを考え、「思いついたらすぐいう」。「んご」→「ンゴール。ストラヴィンスキー
・言う順序などは決まっていない。思いついたら誰でも言ってよい。その後に続いてべつのダジャレが思いついたら追って言ってもよい。→「ンゴック探偵」
・プレイヤー達のなんとなくの判定により、そのうち一つを採用。その最後の2文字を取って、さらに続ける。

いわゆるしりとりは勝敗がつく遊びであるが、これは要するに大喜利だ。面白いダジャレを言ったらそれが次のお題に採用される。その「採用」を目指すゲームだ。



ここ2年ほどボードゲーム*1を遊んできたのだけれど、そのゲームの多彩さには本当に驚いた。「ボードゲーム」と聞くと要するに双六みたいなものしか想像できなかったからだ。時には競りで落札額をつり上げ、時には正体を隠して仲間のふりをして裏切り、時にはブラフをかけて相手を破産させる。そして時には動物クイズに挑戦したかと思えば、次の瞬間にはコインをはじき、手裏剣を投げ、粘土をこねている。ボードゲームの世界は実に広大である。



そんな広い世界だから、当然大喜利もしたりする。たとえば「私の世界の見方」(http://blog.livedoor.jp/familygames/archives/51502044.html)は親の出したお題に対して手札で答え、誰が一番面白いかを親に決めてもらうというものだ。答えに宣言があるという点では、大喜利というよりは「言語遊戯王」や「松ごっつ」の「面雀」と言った方が近いかもしれない。



実際やってみたが、これがおもしろい。ルールに不備がないわけでもないのに、単純に、親に選ばれたらそれだけで嬉しいものなのだ。








本書で遊ばれる「あそび」は、勝敗が決まるものもそうでないものも、盛り上げ役によってその楽しさが変わるものもそうでないものも、ある。「あそび」に制限はない。「あそび」は、ただあそべればもうあそびなのだ。

*1:あるいは卓上ゲームドイツゲームとも

バレないように必死で騙すことと、バレてもいいやと思いながら騙すこと。

ヤメ検落合洋司さんが“AKB48アイスの実CMは放送法上問題?”で@takapon_jp にバッサリ!…で、落合さんはブロックラッシュ。。
http://togetter.com/li/151415

この件、要は落合さんが「メディアはその気になれば大衆を操れるという事実に対して、なぜ誰も危機感を抱かないの?」という疑問なんだろうなと思う。そりゃあれだけたくさんいるAKBに新人が入りました→実は嘘でした、だけじゃ何てこと無い、誰も損しない出来事ではあるんだけど、この件はそれだけじゃないんだぞと。こうしてCGやら映像技術やらを「これはフィクションです」と断り書きなしに使ってもいいということになると次第に恐ろしいことになるんだぞという警鐘なんでしょうね。その辺がホリエモン以下「これの何が問題なの?」と返す人たちにうまく伝わってない気がします。
今はまだ「実はCGでしたー」とタネ明かししてくれるからいいけども、じゃあしなくなったらどうするんだと。いくらでも「事実でないことを伝えられる」メディアを放っておいていいのか、と。






で、これとはちょっと違うかもしれない話。誰かが自分を騙したとき、それが本気で騙そうとしたのと、対して労力もかけずに騙そうとした結果自分でその嘘に気付いた場合と、どちらが腹立ちますか。後者の方じゃないですか。だってそれってつまりバレてもそう大したことにならないだろうと思われてるってことですよね。ナメられてるってことですよね。



まためちゃイケの話なんですけども。あの番組を見るに当たってヤラセがどうとかそういうことを言う事自体が無粋だという空気になってますが、それでもやっぱり最近は違和感を覚えるんですよね。かつては合成までして(http://wajin.exblog.jp/2212534/)ストーリーの辻褄をあわせようとしていたのに、もう最近ではバレバレでもいいや、バレてもなんてことないやと製作されてる気がします。例えばこの間の期末テストの企画、どう見ても試験と答え合わせの収録は別の日ですよね。回答見てその日のうちに作れないものが多すぎて。つまりもう番組が視聴者をしっかり騙す気すらないんですよ。



騙そうとしてるうちはまだ良かった。それに対しこちらも見抜いてやろうと交戦する姿勢が持てたから。でも「余計なこと言うなよ空気読めよ」と出してくる場合はどうしたら。





うん。やっぱり疑問は持つべきだ。そもそもテレビって、視聴者を騙してもいいもんだったっけ?

「ねたあとに」連想日記 その7 軍人将棋

ねたあとに

ねたあとに




さて、軍人将棋(または「行軍将棋」)である。タイトルを言うだけで人に伝わるゲームが、お店で買えるゲームが、ようやく登場だ。

行軍将棋ゲーム

行軍将棋ゲーム


通常の将棋では駒に書かれた文字が上になるよう配置され、互いにその駒が何であるか認識できる。しかしこの軍人将棋では駒を全て裏向きにし、相手にそれが何の駒であるか見えないようにする。駒同士の勝敗表と対戦の結果を見て相手の駒の正体を推測するのだ。

勝敗表*1

大将 中将 少将 大佐 中佐 少佐 大尉 中尉 少尉 飛行機 タンク 騎兵 工兵 スパイ 地雷
大将 - × -
中将 × - -
少将 × × - -
大佐 × × × - × × -
中佐 × × × × - × × -
少佐 × × × × × - × × -
大尉 × × × × × × - × × -
中尉 × × × × × × × - × × -
少尉 × × × × × × × × - × × -
飛行機 × × × -
タンク × × × × - × -
騎兵 × × × × × × × × × × × - -
工兵 × × × × × × × × × × × -
スパイ × × × × × × × × × × × × - -
地雷 - - - - - - - - - × - - × -

ローカルルールが多種あるためこの表の限りではない。実際作中でのルールでは二つの歩兵を一つのマスに同時にぶつける「ニッホヘー(二歩兵)」が認められている。



さてこのゲーム、両者の駒を見てもいい審判が必要なのが難点だ。「3人で遊ぶゲーム」でありながらそのうち1人は「遊んでいない」。2人で遊べるゲームなら、途中でゲームを辞めたくなったら「投了」として負けになるだけだが、審判が辞めたいと言い出したら大変だ。またその審判が本当に正しく裁定を下しているのか疑念を抱く人もいるだろう。
やはり勝敗判定は2人で行うのが一番だ。しかし相手の駒は見てはいけない。見ないまま勝敗の結果だけ知る方法はないだろうか。と子供の頃考えた。


思いついたのは「スクラッチ式」である。紙に印刷された銀の膜をコインで削るあのスクラッチを用いる。用いるというより、はじめから軍人将棋という用具を、そういう商品として売り出すという案である。



上の勝敗表の、駒の順序を変えて配置したものを作る。例えばこんなふうに。

01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12 13 14 15
少尉 飛行機 タンク 少将 中佐 少佐 地雷 大将 大尉 騎兵 中将 工兵 大佐 スパイ 中尉
A 中尉 × × × × × - × × × × -
B 大将 - - ×
C 少佐 × × × × - - × × ×
D 大佐 × × × - × × -
E 大尉 × × × × × - × - × ×
F 騎兵 × × × × × × - × × - × × ×
G スパイ × × × × × × - × × × × × - ×
H 少将 - - × ×
I 中佐 × × × - - × × ×
J 地雷 - × - - - - - - - - × - - -
K 少尉 - × × × × × - × × × × ×
L 飛行機 - × × ×
M タンク × - × - × × ×
N 中将 - × -
O 工兵 × × × × × × × × × - × ×

双方が持つ15ずつの駒には、一方がA〜Oまで、もう一方が01〜15までの字が書かれている。裏には何も書かれていない。それぞれどの駒が何であるかだけを表した別の表(上の表の、それぞれ上部と左部だけ書かれた部分)をそれぞれが持つ。つまり表は合わせて3部あることになる。そしてそれらの表の各マスは、A〜Oと01〜15が書かれたマス以外全て銀の膜で覆われており、駒の正体が分からないようになっている

ゲーム開始時、プレイヤーはそれぞれ自分の担当する陣営の正体が書かれた別表を持ち、相手に見られないようにして銀の膜部分をスクラッチする。それを見ながらA〜Oと01〜15が書かれた駒を配置する。
ゲーム中に駒と駒が衝突した場合、例えばそれらがFと12だったとき、勝敗表のFと12が交差するマスをスクラッチする。○ならFの駒が、×なら12の駒の勝ちである。





問題は一度遊んでしまうと駒の正体が明らかになってしまう点である。なのでこのスクラッチ式の勝敗表と別表はこの軍人将棋セットにたくさん同梱されていればよい。100枚とか、200枚とか。なくなったら別売りのを買うとか。

おおひなたごう「特殊能力アビル」がスゴい

特殊能力アビルEXTRA (Cue comics)

特殊能力アビルEXTRA (Cue comics)


テレビ雑誌「TV Bros.」に毎号1ページだけ連載している「特殊能力アビル」、最近ストーリーとか無視して藤子不二雄パロだけやってて好きです。

今号の最後3コマはこちら。


網の濃度は濃くなる一方なんだよ 地球を燃やすにはほんのちょっとした火花で足りるんだ!!


「ある日」は「唐突」にやってくる 「伏線」など張る暇もなく 「ある日」がいつくるか…今日にも…


(プツン…)


上段はオバQのパロですが、ここは明らかに藤子Fの短編「ある日・・・」の最後のページ。
この話を聞いている3人の男性は、このページの上段にはまったく出てこない!





ちなみに前号はパーマン第一話のパロでした。もうパロというより模写。

「ねたあとに」連想日記 その6 また顔

ねたあとに

ねたあとに

第2章と同じく「顔」で遊ぶ章。


この「顔」では振るサイコロ二つの目を「二十一通り」と判定している。6かける6の36通りではない。同じ見た目のサイコロを二つ振っても「2と5」と「5と2」の違いはわからないのでそれらは同じと見なされ、ゾロ目の6通りはそのまま、それ以外の30通りは半分の15に減り、あわせて21通りというわけだ。







子供の頃にジャンプで読んだ漫画「アカテン教師梨本小鉄」の第一話で、教師梨本が生徒たちに数学の勉強だと称し、サイコロの丁半博打を(現金を賭けさせて!)やらせるシーンがあった。丁(偶数)と半(奇数)の出る確率はどちらが大きいか、と問う小鉄
そんなの同じに決まってると言う生徒に「半は九通り、丁は十二通り、これを九半十二丁と言う」と説明する小鉄。同じページには21通りの一覧表も。




次号以降で、特に訂正記事は載っていなかった気がする。遊戯王のあの問題の時にはすぐに掲載し、単行本では修正したのに*1


a Black Leaf  アカテン教師 梨本小鉄
http://blog.livedoor.jp/textsite/archives/18453317.html



で、この問題について調べていたらYahoo!知恵袋にこんな質問と回答が。これがベストアンサー。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1247261202

*1:5枚のカードを交互に引き、ジョーカーを引いたら負け、ただし最後の1枚はどちらも引かない。というゲームで「先手が引く確率は1/5+1/3、後手は1/4+1/2」と書いてクレームが殺到した問題のこと

「ねたあとに」連想日記 その5 過去の遊び

ねたあとに

ねたあとに

章題通り、紙相撲や「歌詞」などの昔やっていた遊びをいくつか紹介。インターミッション的な章。


紙相撲の力士に対する「ドーピング」の記述を引用。

あるとき誰かが、力士の内側にロウソクのロウを垂らすことを思いついた。重たくなるから畢竟、強くなる。仕掛けに気付いた者たちは、我も我もとロウを垂らし始めた。
エスカレートして、最後はほとんど一本分のロウソクをすべて垂らした力士が出来、それはロウソクになってしまった。(中略)全力士がロウまみれになって、紙相撲は終焉を迎える。なんだか悲しい歴史だ。


昨年の毎日新聞の記事より。リンク先が削除済みなので以下は既に記事をコピペしたサイトからの孫コピペ。

大河流れて:広州アジア大会 囲碁 韓国ペアが反則負け スポーツか、伝統文化か

◇勝負最優先で「事件」

中国の劉星七段が顔を真っ赤にしてメディアの取材ゾーンに現れ、何やら中国語でまくしたてている。ペアを
組む唐奕二段はその横をスタスタと無言で通り過ぎた。

初めて「スポーツ」として大会種目となった囲碁。20日、先陣を切って「ペア碁」と呼ばれる混合ダブルスが
始まったが、初日から異様な光景が展開した。

“事件”が起こったのは午後の2回戦、中国−韓国(朴廷桓八段、李瑟娥初段)戦だ。いずれも世界を代表する
男女のトップ棋士。優勝候補の筆頭格が1勝同士で激突した。序盤から互いに譲らない激戦が続いたが、
終盤に入って内容的には中国の勝ちが確定。ところが、まもなく終局かという時に、韓国ペアがまったく無意味な
地点への着手を始めた。

持ち時間は各45分で、それを使い切ると内容がどうであれ自動的に負けになる。韓国は、持ち時間の少なく
なっていた中国の時間切れを明らかに狙っていた。十数手以上にわたり無意味な着手が続いたため、審判団が
協議。規定により、韓国の反則負けとした。韓国側は「ルールの中で行った」と弁明。関係者の一人は「まさか、
世界を代表する棋士がそんなことをするとは」と嘆いた。

囲碁は古代中国が発祥の地と言われる。朝鮮半島を経て日本に伝わった。江戸時代、幕府が手厚く保護した
こともあり、飛躍的に発展、一般庶民に広がるとともに家元などプロ制度も生まれた。そうした中、囲碁
勝負事であるとともに、伝統文化として定着した。

日本は戦前・戦後と常に世界の囲碁界をリードしてきた。しかし、トップを維持していたのは十数年前まで。
以降は中国、韓国が台頭。現在、日本は3番手の位置にある。日本は昔から結果よりも内容を重視する風潮に
あったが、中国は囲碁をスポーツとしてとらえ、英才教育を展開。韓国も数年前からスポーツに位置づけ、
集団教育に力を注ぎ、腕をあげてきた。両国とも、良くも悪くも、勝負最優先の傾向にある。

囲碁はスポーツなのか、伝統文化なのか。そうした議論に一石を投じた出来事だった。


ゲームにおけるルールとは「やっていいことの範囲を線引くもの」であって、その線の内側で行われた行為に対し「それはズルい」と批判することはあってはならないと考える。線が二本存在することになるが、それならはじめに引かれた線は何の意味があるのか。
ルールを制定したら、その範囲内で何が出来うるかも同時に考えるべきだ。考えが及ばずに「そんなこと」がされたとしたら、それはルールの不備だろう。

上の囲碁の話で言えば、時間切れを負けとするならば、つまり勝ち筋をもうひとつ増やしたということだ。どちらを狙っても勝てるのに、一方は認められてもう一方は批判されるとは。



「我々はスポーツマンシップに則り〜」と宣誓させることで、明文化していない部分までプレイの内容に口出しできるようにするのは卑怯なやり口じゃないだろうか。



力士にロウを垂らしだしたら、その行き着く先は予想できる。ルールの制定ひとつでゲームは生きも死にもする。なのでルールの制定には責任が生じるのだ。