裁かれたのは誰だったのか Joker: Folie à Deux
https://wwws.warnerbros.co.jp/jokermovie/
以下、「Joker: Folie à Deux」のネタバレを含みます。
ジョーカーは存在するか?
アーサー(ホアキン・フェニックス)の犯した5件の殺人に対する法廷劇。アーサーの凶行はテレビドラマ化されており、裁判所の周りにはそれを見たことで彼に惹かれた信奉者達が押し寄せる。
裁判の争点は、アーサーに責任能力があるか・もうひとつの人格が存在するかということ。つまり「ジョーカーは存在するのか?」。
音楽療法の場で出会う謎の女リー(レディ・ガガ)。彼女との出会いにより、アーサーは生きる希望を持つ・・・ということはセリフでなく歌で表現される。そう、本作品は多くのミュージカルシーンによって構成され、多くの心情は歌詞に乗せられている。今回アーサーの妄想シーンはほとんどがリーとともにいる場面。歌って踊って、二人で現実に抗ってみせる。
裁判の途中でアーサーは突然、いるはずもないアーサーのもうひとつの人格をでっちあげることに必死な弁護士を解雇し、その後は自分自身で弁護を行うことに。リーをはじめ、信者たちに望まれたピエロのメイクで法廷に立つことで自らの狂気を立たせる。ここまでは「みんな」の望むこと。
しかし終盤に、証言台にかつての同僚ゲイリーがつくシーンで、彼と会話を重ねるうちにアーサーは「誰も俺を見ていない」と憤る。法廷の中でも外でも、人々が関心を持っているのは5件の殺人を犯した殺人ピエロの方であって、アーサーではない。結局だれも自分に関心はないのだ。
そしてアーサーはジョーカーになることを諦める。「ジョーカーはいない」ことを認める。リーやその他の傍聴席の信奉者たちは失望して席を立つ。裁判所の爆破によって外に出たアーサーは、「あの階段」で再会したリーに別れを告げられる。そしてそのあと、最後までアーサーはジョーカーになることはないまま、刑務所の中で刺殺される。救いのないラスト。
スクリーンに自分が映っていた
本作の評価が非常に悪いということは知っていた。見た後もそりゃそうなるだろうと納得した。観客が求めていたのはあの「ジョーカー」の続編であり、虐げられていたアーサーがジョーカーになって暴れる姿だったにも関わらず、本作でアーサーが暴力を振るうのは妄想シーンのみ。
しかしちょっと待って欲しい。考えると、アーサーがジョーカーになりきらないまま終わる本作を見て失望するのは、ジョーカーを否定したアーサーに失望したあの傍聴席の人たちと、何が違うのか。テレビドラマを見て勝手にジョーカーに期待し、その期待を裏切られたと席を立ち裁判所から出ていったあの人たちは、前作を見てその続編に同じような展開を期待する観客自身の姿だった。あのシーンに映っていたのは自分自身だった。
アーサー自身もまた、ジョーカーを求めてはいなかった。ジョーカーという存在を認めるわけにはいかなかった(認めたら自分自身が消失してしまう)。事実、裁判所の爆発のあと、逃亡を手助けしてくれる信者たちの手は早々に引き払い、自分の足で逃げ出した。彼らもまた、興味があるのはジョーカーであり、アーサー自身ではないのだから。
ジョーカーと「ジョーカー」
前作によってアンチヒーローとしての人気を得た(得てしまった)ジョーカーの姿は、作中でテレビドラマ化されていることでまた、この作中でのジョーカーの姿に重なる。映画の中でも外でも、ジョーカーは人々に好かれ、痛快に暴れることを勝手に期待されている。
しかしアーサー自身も制作陣も、それを良しとしていない。たとえ他のDC作品との繋がりがなくなっても、辻褄が合わなくなっても、それよりジョーカーが神格化されることを防ぐことを優先し、ラストでアーサーはその生涯を終える。アーサーがアーサーとして死ねることだけでも、ハッピーエンドなのか。
本作は法廷劇であり、その裁判はジョーカーの存在を否定する評決で終わる。裁かれていたのは、存在の有無を問われていたのは、アーサーのもうひとつの人格ジョーカーであり、それを神格化させた前作「ジョーカー」だった。
JOKERのジョークは笑えない
ピエロのメイクはたいてい、白塗りの上に大きく笑った唇を描く。メイクが笑顔なのだから、たとえ本人が笑っていなくても笑顔に見えるようになっている。遠目で見れば笑顔、近くでよく見ればそうではない顔。
■アーサーの笑い
映画が始まってからずっと、観客はスクリーンに映るアーサーの常にズレている笑いを目にすることになる。しかしそのズレ具合は単一のものではない。脳の障害により止まらなくなるアーサーの笑いのほか、下ネタを披露するステージを見る観客に紛れ、周囲とは笑うポイントが合わず、人が笑うところで笑えず、笑っていないところで笑うシーン。そしてアーサー自身の、笑うしかないほど悲惨な、しかしとても笑えるものではない境遇。
その他に、この作品そのものが見せる笑いのシーンもまた世間とはズレたものだ。小児病棟で拳銃を落とすシーンも、背が低くて鍵まで届かずもがくシーンも、これが別の作品なら何も考えず笑えたかもしれないが、これらはどれもこの状況ではとても笑えるものではない。最も象徴的なのはラストの、廊下の向こうで繰り広げられる(本来ならコミカルなはずの)追いかけっこ。ご丁寧に左右に往復までして見せることからも、これはギャグですよ、笑うところですよと訴えかけてくるあのシーンは、もちろんその直前に見えた女性カウンセラーに何が起こったかを示唆する「足跡」が床に残ったままでは笑えるものではない。笑わそうとしていることはわかるが笑えない、まるでネタ帳を見ながらやってみせるアーサーのジョークのようだ。
自分の口に指を突っ込み無理やり口角を上げなければならないほどに、アーサーはうまく笑えず、うまく笑うことをやめられず、うまく人を笑わせられず、そしてコメディ以外の職に就けないアーサーは、人を笑わせることをやめられない。アーサーの希望は笑いしかないが、アーサーの苦しみもまた笑いによるものだ。
■どこまでが妄想か?
病床の母親と一緒にテレビショーを見るアーサーは、いつの間にかスタジオで客席に座り、自身の境遇を語り周囲からの理解を得て、ステージに上がり司会者と抱擁までするのだが、しかしすぐに自室でテレビを見るシーンに戻る。
ここで観客は三つの事実を知る。
・このシーンが現実でなく、アーサーが見た妄想であること
・アーサーには空想癖があるということ
・この映画での妄想シーンには何の映像処理もなされず、現実のシーンと見分けがつかないこと
妄想の始まりと終わりの「印」(いわゆる「ポワンポワンポワーン」)もなく、またそのシーン中に映像がボヤけたりザラついたりということもない。これでこの後に作品中で起こった出来事のいくつかがアーサーの見た空想だったとしてももう文句は言えなくなる。そして実際に、アーサーだけが見ているはずの妄想が説明もなく映り、後から「答え合わせ」をすることになる。
同じ階に住む交際相手のソフィーの部屋に勝手に上がり込んだアーサー、彼女に見つかって驚かれ、「お母さんを呼んでこようか?」と言われる。母親が入院中であることを知らないわけがないにも関わらず。ここで初めてアーサーは、これまでの二人の時間がすべて現実でなかったことに気付く。ではどこまでが本当だったのか。エレベーターの中で出会い、娘を学校に送るところを尾行し、その尾行がバレるところまでだろうか。スタンダップコメディとしての初舞台で笑いが止まらなくなり、なんとか持ち直してジョークを言うアーサーの声は、途中でBGMにかき消されてネタが聞こえなくなる。そのネタが笑えるものだったのか、そのネタを聞いた観客が笑っているのかが意図的に伏せられているのだが、その後病室で見たテレビで自身の映像を見たアーサーとともに、やはりスベっていたのだと知る。ウケたということまで含めて妄想だったのか。
もうひとつ。仮面を付けたデモ隊でごったがえす劇場に、すんなり忍び込むことに成功し、トイレでウェインと対面するシーン。「父親」への訴えは届かず、洗面台でうなだれるアーサーのその姿勢は、自室で同じポーズを取るアーサーの姿と重なる。ではこのシーンは現実なのか。母親の話が真実でないことに薄々気が付いていたアーサーの、「もしウェインに会ってもこうなるだろう」という妄想ではなかったのか。
映画の中で映画を見るシーンがあるとき、そこで描かれる観客の姿は時として、この映画を見ている観客(=我々)の姿を象徴する。モダンタイムスの労働者を見て無責任に笑う富裕層の観客達は、この映画「JOKER」を見る、アーサーを見て笑う我々観客の姿を映しているのか。いや笑えたものじゃないのだが。
「カメラを止めるな!」はおもしろくてもったいない
http://kametome.net/index.html
7年ぶりにここを更新することになるとは。
「カメラを止めるな!」を見てきました。書きたいことができたので以下に。
以下ネタバレです。
続きを読む「ねたあとに」連想日記 その8 ダジャレしりとり
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いよいよ最終章。最後の「あそび」は、とても脱力するゆるいものだった。それも登場したのは最後から5ページ目から(!)
・要するにしりとり。しかし最後の文字を2文字取る。「りんご」なら「んご」を取る。
・取った2文字で始まるダジャレを考え、「思いついたらすぐいう」。「んご」→「ンゴール。ストラヴィンスキー」
・言う順序などは決まっていない。思いついたら誰でも言ってよい。その後に続いてべつのダジャレが思いついたら追って言ってもよい。→「ンゴック探偵」
・プレイヤー達のなんとなくの判定により、そのうち一つを採用。その最後の2文字を取って、さらに続ける。
いわゆるしりとりは勝敗がつく遊びであるが、これは要するに大喜利だ。面白いダジャレを言ったらそれが次のお題に採用される。その「採用」を目指すゲームだ。
ここ2年ほどボードゲーム*1を遊んできたのだけれど、そのゲームの多彩さには本当に驚いた。「ボードゲーム」と聞くと要するに双六みたいなものしか想像できなかったからだ。時には競りで落札額をつり上げ、時には正体を隠して仲間のふりをして裏切り、時にはブラフをかけて相手を破産させる。そして時には動物クイズに挑戦したかと思えば、次の瞬間にはコインをはじき、手裏剣を投げ、粘土をこねている。ボードゲームの世界は実に広大である。
そんな広い世界だから、当然大喜利もしたりする。たとえば「私の世界の見方」(http://blog.livedoor.jp/familygames/archives/51502044.html)は親の出したお題に対して手札で答え、誰が一番面白いかを親に決めてもらうというものだ。答えに宣言があるという点では、大喜利というよりは「言語遊戯王」や「松ごっつ」の「面雀」と言った方が近いかもしれない。
実際やってみたが、これがおもしろい。ルールに不備がないわけでもないのに、単純に、親に選ばれたらそれだけで嬉しいものなのだ。
松本人志自選集 「スーパー一人ごっつ」 Vol.1 [DVD]
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本書で遊ばれる「あそび」は、勝敗が決まるものもそうでないものも、盛り上げ役によってその楽しさが変わるものもそうでないものも、ある。「あそび」に制限はない。「あそび」は、ただあそべればもうあそびなのだ。
バレないように必死で騙すことと、バレてもいいやと思いながら騙すこと。
ヤメ検・落合洋司さんが“AKB48アイスの実CMは放送法上問題?”で@takapon_jp にバッサリ!…で、落合さんはブロックラッシュ。。
http://togetter.com/li/151415
この件、要は落合さんが「メディアはその気になれば大衆を操れるという事実に対して、なぜ誰も危機感を抱かないの?」という疑問なんだろうなと思う。そりゃあれだけたくさんいるAKBに新人が入りました→実は嘘でした、だけじゃ何てこと無い、誰も損しない出来事ではあるんだけど、この件はそれだけじゃないんだぞと。こうしてCGやら映像技術やらを「これはフィクションです」と断り書きなしに使ってもいいということになると次第に恐ろしいことになるんだぞという警鐘なんでしょうね。その辺がホリエモン以下「これの何が問題なの?」と返す人たちにうまく伝わってない気がします。
今はまだ「実はCGでしたー」とタネ明かししてくれるからいいけども、じゃあしなくなったらどうするんだと。いくらでも「事実でないことを伝えられる」メディアを放っておいていいのか、と。
で、これとはちょっと違うかもしれない話。誰かが自分を騙したとき、それが本気で騙そうとしたのと、対して労力もかけずに騙そうとした結果自分でその嘘に気付いた場合と、どちらが腹立ちますか。後者の方じゃないですか。だってそれってつまりバレてもそう大したことにならないだろうと思われてるってことですよね。ナメられてるってことですよね。
まためちゃイケの話なんですけども。あの番組を見るに当たってヤラセがどうとかそういうことを言う事自体が無粋だという空気になってますが、それでもやっぱり最近は違和感を覚えるんですよね。かつては合成までして(http://wajin.exblog.jp/2212534/)ストーリーの辻褄をあわせようとしていたのに、もう最近ではバレバレでもいいや、バレてもなんてことないやと製作されてる気がします。例えばこの間の期末テストの企画、どう見ても試験と答え合わせの収録は別の日ですよね。回答見てその日のうちに作れないものが多すぎて。つまりもう番組が視聴者をしっかり騙す気すらないんですよ。
騙そうとしてるうちはまだ良かった。それに対しこちらも見抜いてやろうと交戦する姿勢が持てたから。でも「余計なこと言うなよ空気読めよ」と出してくる場合はどうしたら。
うん。やっぱり疑問は持つべきだ。そもそもテレビって、視聴者を騙してもいいもんだったっけ?
「ねたあとに」連想日記 その7 軍人将棋
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さて、軍人将棋(または「行軍将棋」)である。タイトルを言うだけで人に伝わるゲームが、お店で買えるゲームが、ようやく登場だ。
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通常の将棋では駒に書かれた文字が上になるよう配置され、互いにその駒が何であるか認識できる。しかしこの軍人将棋では駒を全て裏向きにし、相手にそれが何の駒であるか見えないようにする。駒同士の勝敗表と対戦の結果を見て相手の駒の正体を推測するのだ。
勝敗表*1
大将 中将 少将 大佐 中佐 少佐 大尉 中尉 少尉 飛行機 タンク 騎兵 工兵 スパイ 地雷 大将 - ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ × - 中将 × - ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ - 少将 × × - ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ - 大佐 × × × - ○ ○ ○ ○ ○ × × ○ ○ ○ - 中佐 × × × × - ○ ○ ○ ○ × × ○ ○ ○ - 少佐 × × × × × - ○ ○ ○ × × ○ ○ ○ - 大尉 × × × × × × - ○ ○ × × ○ ○ ○ - 中尉 × × × × × × × - ○ × × ○ ○ ○ - 少尉 × × × × × × × × - × × ○ ○ ○ - 飛行機 × × × ○ ○ ○ ○ ○ ○ - ○ ○ ○ ○ ○ タンク × × × ○ ○ ○ ○ ○ ○ × - ○ × ○ - 騎兵 × × × × × × × × × × × - ○ ○ - 工兵 × × × × × × × × × × ○ × - ○ ○ スパイ ○ × × × × × × × × × × × × - - 地雷 - - - - - - - - - × - - × -
ローカルルールが多種あるためこの表の限りではない。実際作中でのルールでは二つの歩兵を一つのマスに同時にぶつける「ニッホヘー(二歩兵)」が認められている。
さてこのゲーム、両者の駒を見てもいい審判が必要なのが難点だ。「3人で遊ぶゲーム」でありながらそのうち1人は「遊んでいない」。2人で遊べるゲームなら、途中でゲームを辞めたくなったら「投了」として負けになるだけだが、審判が辞めたいと言い出したら大変だ。またその審判が本当に正しく裁定を下しているのか疑念を抱く人もいるだろう。
やはり勝敗判定は2人で行うのが一番だ。しかし相手の駒は見てはいけない。見ないまま勝敗の結果だけ知る方法はないだろうか。と子供の頃考えた。
思いついたのは「スクラッチ式」である。紙に印刷された銀の膜をコインで削るあのスクラッチを用いる。用いるというより、はじめから軍人将棋という用具を、そういう商品として売り出すという案である。
上の勝敗表の、駒の順序を変えて配置したものを作る。例えばこんなふうに。
01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12 13 14 15 少尉 飛行機 タンク 少将 中佐 少佐 地雷 大将 大尉 騎兵 中将 工兵 大佐 スパイ 中尉 A 中尉 ○ × × × × × - × × ○ × ○ × ○ - B 大将 ○ ○ ○ ○ ○ ○ - - ○ ○ ○ ○ ○ × ○ C 少佐 ○ × × × × - - × ○ ○ × ○ × ○ ○ D 大佐 ○ × × × ○ ○ - × ○ ○ × ○ - ○ ○ E 大尉 ○ × × × × × - × - ○ × ○ × ○ ○ F 騎兵 × × × × × × - × × - × ○ × ○ × G スパイ × × × × × × - ○ × × × × × - × H 少将 ○ ○ ○ - ○ ○ - × ○ ○ × ○ ○ ○ ○ I 中佐 ○ × × × - ○ - × ○ ○ × ○ × ○ ○ J 地雷 - × - - - - - - - - × - - - K 少尉 - × × × × × - × × ○ × ○ × ○ × L 飛行機 ○ - ○ × ○ ○ ○ × ○ ○ × ○ ○ ○ ○ M タンク ○ × - × ○ ○ - × ○ ○ × × ○ ○ ○ N 中将 ○ ○ ○ ○ ○ ○ - × ○ ○ - ○ ○ ○ ○ O 工兵 × × ○ × × × ○ × × × × - × ○ ×
双方が持つ15ずつの駒には、一方がA〜Oまで、もう一方が01〜15までの字が書かれている。裏には何も書かれていない。それぞれどの駒が何であるかだけを表した別の表(上の表の、それぞれ上部と左部だけ書かれた部分)をそれぞれが持つ。つまり表は合わせて3部あることになる。そしてそれらの表の各マスは、A〜Oと01〜15が書かれたマス以外全て銀の膜で覆われており、駒の正体が分からないようになっている。
ゲーム開始時、プレイヤーはそれぞれ自分の担当する陣営の正体が書かれた別表を持ち、相手に見られないようにして銀の膜部分をスクラッチする。それを見ながらA〜Oと01〜15が書かれた駒を配置する。
ゲーム中に駒と駒が衝突した場合、例えばそれらがFと12だったとき、勝敗表のFと12が交差するマスをスクラッチする。○ならFの駒が、×なら12の駒の勝ちである。
問題は一度遊んでしまうと駒の正体が明らかになってしまう点である。なのでこのスクラッチ式の勝敗表と別表はこの軍人将棋セットにたくさん同梱されていればよい。100枚とか、200枚とか。なくなったら別売りのを買うとか。
おおひなたごう「特殊能力アビル」がスゴい
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テレビ雑誌「TV Bros.」に毎号1ページだけ連載している「特殊能力アビル」、最近ストーリーとか無視して藤子不二雄パロだけやってて好きです。
今号の最後3コマはこちら。
網の濃度は濃くなる一方なんだよ 地球を燃やすにはほんのちょっとした火花で足りるんだ!!
「ある日」は「唐突」にやってくる 「伏線」など張る暇もなく 「ある日」がいつくるか…今日にも…
(プツン…)
上段はオバQのパロですが、ここは明らかに藤子Fの短編「ある日・・・」の最後のページ。
この話を聞いている3人の男性は、このページの上段にはまったく出てこない!
パラレル同窓会: 藤子・F・不二雄[異色短編集] 4 (4) (小学館文庫―藤子・F・不二雄〈異色短編集〉)
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ちなみに前号はパーマン第一話のパロでした。もうパロというより模写。