コントとガチと、それらを受け入れるということと。

人が人を見て笑うのは、向こうも基本的に自分と同じ思考を持っているからなんだろうと思うのだ。
転んで尻餅をつく人を見て笑うのは尻餅の痛みを共感できるからで、痛みの感覚を持たない人が転んでノーリアクションだったとしたら笑えないだろう。
テレビのバラエティで芸人がリアクション芸を見せるのは、痛みやら熱さやらを視聴者も理解できるからだ。生まれてから一度も熱がった事のない人間は熱湯風呂に入る芸人を見ても笑えないだろう。
だからこそ、熱湯風呂は熱湯である必要があるのだ。

1/6放送のめちゃイケSPを見た。

中居99の日本一周シリーズは欠かさず見てきたのだけど、さすがに今回のこれはもうダメだろう。番組として成立してないとまで言ってみたい。
例えば札幌文化放送なんて実在しないじゃないかとか、あのタイ式マッサージ屋は実在の店じゃないだろうとかは別にいい。しかしあの収録が紅白の前日だとか、うどん屋の直後にスタジオでの自転車ゲームを収録してるように見える作りは番組を台無しにしてしまうものなんじゃないか。なぜなら中居がこのロケに協力している姿勢がバレてしまうからだ。中居は番組内で降りかかる不幸に対しあくまで受身でないといけないのだ。いやいや保毛男の格好をさせられて、いやいや渋谷を金粉ショーさせられていないといけないのだ。これが全てを分かったうえでやっていることだとしたら、視聴者の感想は「仕事とは言えよーやるなー」ってなもんだ。
こう書くと誤解されそうだけども、僕自身も中居が全て知らない上でロケに参加しているなんて思ってもいない。ただそういうテイで作るとしたら、できるだけ視聴者にバレないような(それでも十分バレているのだけど)作りにするべきなんじゃないだろうか。簡潔に言うなら「徐々に手抜きになってないか?」ということだ。アラが多すぎたのだ。
「中居をダマす為ならどんな作りもやる。しかし中居のリアクションだけはガチ。」という原則を守らないと、あるいは守っていなくてもバレないように作らないと、もう全てを疑うようになってしまうだろう。
今回の中居リアクションの軸となる、あのオープンカーにされた車やカレーに入れられた時計は本当に中居のものでないといけないのだ。もしもちゃんと作られていたとしたら疑わなくても済んだのに。
この日本一周シリーズ、昔はもっとその辺り細かく作りこんでいたと思う。源泉を水筒に汲んで「これでお茶を飲みたい」と口走ったばかりに静岡に寄ることになったという展開はまだ自然に見えたが、前回の「ステーキを食べているうちに突然サイコロステーキを要求したばかりにストンプに参加させられる」ってのは不自然だろう。
やらせが受け入れられないわけじゃない。めちゃイケがドキュメンタリーでなくロケコントだという事は分かってる。でもコントだと言うなら設定は守るべきなんじゃないか。
(↓意味はないけど思い出したので。前回の「なかいくんざぶざぶーわーお」)