ラーメンズの変換ショー、TEXT。

(以下はラーメンズ第16回公演「TEXT」のネタバレを含みます)
先週土曜にラーメンズ「TEXT」を観劇。
今回の公演についてほぼ何も感想らしきものを書いてなかったのだけど、今回の公演はかなり好きな方です。とここで表明しておく。
言葉遊びをあくまで芝居の形式で笑いに変換するというのは小林賢太郎の特技だと思う。ほら、例えば回文という言葉遊びがあったとして、これを客前で笑いにしている芸人が存在するんですよ。レム色という。でも彼らの手法は「スケッチブックに回文を書く」→「客前で見せる」→「と同時に読む(しかも2人で!(しかも2回ずつ復唱する!))」というもので、回文という素材をほぼそのまま観客に提出するものであるわけですよ。
以前にナンシー関のコラムで読んだのだけど、お昼のワイドショーで壁に貼ったスポーツ新聞の記事に赤線引いたものをカメラが写し、それを差し棒でたどりながらキャスターが読むあの形式はもうテレビというメディアの無駄遣いでしかないと。電波使って画面に紙面を写してキャスターがそのまま読むという。その新聞を読むのと得られる情報量はまったく変わらないわけだし。レム色のネタも、じゃあもう紙だけ見せてくれたらそれでいいじゃんと思うわけで。(と思ったらネタ本出版してるのね。じゃあもう舞台に立つ意味が本格的にわからないよ・・・)
レム色批判はともかく、とにかくベースは紙とペンでできる遊びであっても、それを舞台上に持っていくときにどう変換するかというのが小林賢太郎は抜群に上手いと思ったのです。ええ素直に認めます。
いや、そりゃ「ドラマチック五十音」だって「シンクロする会話」だって「一人しりとり」だって、紙に書いて見せることも出来るわけですけども、あのネタを生で観るのに比べればその価値はぐっと劣るのですよ。素材はそのままでなく調理してから召し上がってもらわないと。そうすることで自分のつくったものに価値が出来ると。机上で作られた言葉遊びが、お金払って生で観るに値するものに変換される。
ラーメンズというお笑いコンビがする「仕事」は、一度に数百人しか見ることができない舞台を全国回って何度も同じネタを見せるという実に非効率的なものです。2年ぶりに行った今回の本公演で見せたネタはわずか6本。「6本新ネタ見せるだけで2年食える」なんてずいぶん殿様商売だなあとも思えるわけですけども(じゃあ新ネタ1本あたりいくら稼いでるんだ!)、それはつまり、ラーメンズをそれが可能なポジションに持って行けたからなんですよね。「ラーメンズのネタには価値がある」という考えを多くの人に持たせることに成功したからで。僕もこの6年でラーメンズにいくら使ったかわかりませんし。
「数多く存在するお笑いコンビの中の一組」を今の位置まで変換させる。言葉遊びを笑いに変換させる。小林賢太郎はそれが実に上手い。