九は鳴くべきか?

四五六七八2)2)4)6)6)456
オーラスでアガリトップ。ここに上家から九が出る。さて、あなたは鳴きますか?
これは田中プロのブログ(http://blog.livedoor.jp/white_riot/archives/2004-08.html#20040819)で提示された問題。
正直、ぱっと見5)を鳴く事の価値に気付くのに時間がかかったことを白状して、さて九を鳴くかと言えば、僕は鳴かない。待ちがカンチャンに固定されるのが不安だからだ。
三六2)3)5)6)は全て鳴く。萬子チーなら6)切り。そして両面待ちへの変化を待つ。
田中プロは「選択が残るピンズ受けと、片アガリが残るマンズ受けと、どっちを嫌がる人のほうが多いだろうか」と疑問を投げているが、個人的にはどちらも嫌がらない。嫌がるのはただ待ちが狭くなることだけで。筒子の選択を間違えたとしても「裏目を引いた痛み」はあくまで精神的な物であると思うからだ。
例えばこれが2)4)6)のようなリャンカン形であれば裏目引きは痛い。しかし2)2)4)6)6)から6)を切った後に3)を引いてもフリテンになるわけでもない。カンチャンが両面になるだけである。喜んで再び6)を切る。
牌効率至上主義の現代っ子だからなのか、結局僕はカンチャン待ちを最終形と見るのが不安なのだ。カンチャンの聴牌聴牌でなく両面待ちまでの一向聴と見てしまう。46のカンチャンの上がり牌は1種4枚だが、両面に変わるための受け入れは2種8枚。上がるより先に両面へ変化する方が多い。この事実を知ってしまった以上カンチャンでのリーチが打てない自分がいる。ソバテンが多くなるという弊害があるにもかかわらずだ。
(一方ペンチャンでは割とリーチをかけることが多い。これは多分ペンチャンが残る聴牌は役無しが多いからだと思う。)