日記。

母に携帯電話を買ってあげてから2ヶ月経つ。実家を離れてからどうしても連絡が少なくなることを考え、思い切ってメールを始めさせようとプレゼントしたのだった。
何度もつきっきりでメールの打ち方・送信の仕方・受信したメールの読み方を教えているのだけど、これが一向に覚えない。どうも我々の世代とどこか根本的に機械に対する捕らえ方が違うようだ。
で、塾の講師や家庭教師を6年勤めた経験を生かすべく、「この教え子(正しくは教え親)は何が理解できていないのか」を徹底的に解析することにした。たとえば分数の割り算ができない子がいたとして、なぜできないのかにはその子それぞれに理由がある。単に九九をマスターしていないせいだったり、「割り算なのに答えが増える」という事態に対する拒絶反応だったり。そうした子らに同じ方法で指導しても無駄になることが多い。本人が理解してない部分はどこか、それをできるだけ早く突き止めることが教師の役割だと思うのだ。
で、しばらく見ていた結果、それがわかった。
母には「カーソル」という概念がないらしいのだ。
我々の世代だったら子供のころにテレビゲームを経験してきたわけで、そのなかで「いくつかの選択肢からひとつを選ぶ」操作の方法はすっかり身についている。どれも「指示するもの」を動かし、対象となる選択肢の上で決定ボタンを押すというものだ。その「指示するもの」は、たとえばドラクエだったら小さな白い三角、FFだったら白い手首などとそのソフトによって異なるが*1、とにかく「動かして、決定ボタンを押す」ことが選ぶことであるという認識ができていて、たとえゲーム以外でもそのシステムに対し何も困ることがない。
だから、たとえば人の携帯を借りて見慣れないメニュー画面を開いたとしても、表示されるいくつかの選択肢のうち、一番上にあるものだけ色が異なって表示されているのを見て「あ、この色が違うのはカーソルが重なっているからだな」と理解できるのである。上から3番目の選択肢を選びたいならば、難なく十字キーの下向きのボタンを2回押し、3番目まで「その色が異なるもの」を移動させ、さらに自然と決定ボタンを押すことができるのである。「決定ボタンを押せば選んだことになる」ことは聞かなくても知っている。
あまりにもそれらに慣れすぎてしまったせいで、我々の世代は*2まさかそれを知らない人がいるとは考えていなかったのであった。いや、その「カーソルを移動させて決定ボタンを押す」という概念が存在し、それにいつのまにか慣らされていること自体にも気づいていなかった。気づいたのはその概念を持たざる人を目の前にしてはじめてのことだった。
だから私は、たとえば「メニューからひとつ選んで」と説明することをやめた。「選ぶ」という行動には、1、選択肢の中から一つを心の中で決める。2、カーソルを1で決めた選択肢に重ねる。3、決定ボタンを押す。の3つのステップが必要となる。「選んで」とだけ言っては1の意味に取られるかもしれない。母はすでに選んでいるつもりでも、なにもボタンを操作しない母の手を見て私は「だから選んで!早く!」と苛立ってしまうかもしれないのだ。
携帯の操作が難しい理由としてもうひとつ、ボタンと操作とが一対一対応していないことがあるだろう。
たとえばラジカセだったら巻き戻しボタンは巻き戻し以外に使われることがない。完全に一つのボタンに一つの役目しか任されていないのだからわかりやすい。じゃあ携帯もそうすればいいかというと、今度はボタンが多すぎるとまた拒絶されるのだろうけど。

*1:ここではそれらを総称してカーソルと呼ぶが

*2:少なくとも私は