そうじゃなくてさ

必修漏れ、35都道県254校に 多くの科目で発覚

卒業に必要な必修科目の履修漏れが全国の高校で相次いで見つかっている問題で、履修漏れは当初発覚した世界史以外にも保健、情報など多くの科目に及ぶことがわかった。大学受験優先の方針から、これらの時間を利用して数学など他の科目を教えるケースが目立っており、本来あるべきカリキュラムが曲げられている様子が浮かび上がる。実態を隠すため、県教委に虚偽の報告をしている学校もあった。
(中略)
東京都立八王子東高は、3年生320人のうち181人が必修の倫理を履修していなかったが、都教委に提出した教育課程届では全員に履修させると報告していた。全員に倫理の教科書を買わせ、通知表でも実際に選択した別の科目の成績を倫理の欄に記載。こうした操作は少なくとも00年度から続けられていたという。
 愛媛県今治東高では、世界史B、日本史B、地理Bのうち1科目しか授業を受けていないのに、生徒があと1科目も履修したようにしていた。履修した科目の試験を内容を変えて2回実施し、通知表ではその成績を基に履修していない科目も評価していたという。

http://news.goo.ne.jp/article/asahi/nation/K2006102604300.html?fr=rk

この問題いろんなところで論じられてるのを見るんですが、「学校ズルい」「今からどうやって履修させるんだ」って意見ばっかりなんですよね。僕は不正をする学校に教わっていた生徒の気持ちの方が気になるんですよ。
学校という空間において「エライ人」は教師側であって、生徒が不正したら注意する立場にあるわけですよ。それが今回の事によって覆されて、さてどうするの?って件について誰も言及してない。
教師が生徒にナメられちゃいけないって言いたいんじゃなくて、生徒もそんな学校側に教わりたくないと思ってしまうことが問題なんです。その場にもう「エライ人」「正しい人」がいなくなってしまうという事が。
学校という場で、教師という他人に叱られ、命令されるという不条理に耐えられるのは、そもそも「教師はエライ」という大前提があったからなんですよ。「教師はエライという事になっている」と言い換えてもいい。だからこそその関係が崩れるともう学校という組織が成立しなくなってしまうんです。
誰かの指導・命令を聞いていればいいという立場だった生徒が、急に「誰が信じられるのか」を自己判断しろと言われるんですよ。生徒にとってそれは迷惑でしょうに。