111122223333は二盃口か否か(http://money3.2ch.net/test/read.cgi/mj/1090643181/)

帰宅してからのネット生活の中で毎日見ているのが2ちゃんねるの麻雀板だったりするのです。カテゴリ作りました。そういうわけで今日は珍しく書き込みが盛んなスレを紹介。
ルールの解釈を問うスレは過去も数あったけども、これは個人的にとても良スレ。みんな自分が思うルールが「当たり前」だと思ってるのね。「二盃口になるに決まってるだろ」という書き込みの多い事多い事。
整理すると、
A、メンツは好きに分けていい。よって2組の順子に分けて二盃口となる
B、同一の一盃口を認めてもいいのなら4枚使いの七対子も認めなくてはいけなくなる。よって二盃口とはならない
の2つの意見に分かれて議論されている。で、ここでA派がB派の意見を「二盃口七対子の発展形だと思ってるのか?」と煽る展開になるのだけど、別にB派はそう思ってるわけじゃなく、「4枚の同一牌を好きに分解することは許されるのか?」という素朴な疑問を持っているだけなんだよね。
同一牌4枚を分解するというのは、例えば
○「111123」を刻子「111」と順子「123」に分解。
○「12333345」を順子「123+345」と雀頭「33」に分解。
なんかがあるのだけど、しかし七対子ではなぜか「1111」を「11」+「11」に分解する事が許されない。七対子の定義は「7個の対子」ではなく「7種の対子」だ、というのだ。
ならば二盃口だって「2個の一盃口」なのか「2種の一盃口」なのか?というのは自然と生まれる疑問だ。
これを受けて「麻雀では4枚の同一牌を2枚と2枚として扱う事が許されない事もある。例えば七対子がそうだ。ならば二盃口だって・・・」というのがB派の意見なのだけど、しかしこれを「二盃口の話題に七対子の話を持ち出しているのは、コイツ二盃口七対子の区別がついてないんじゃないか?」とA派が勘違いしたために議論がかみ合わなくなっているのだ。「二盃口和了形が七対子に見えるから」4枚使い七対子の問題を持ち出してるわけじゃなくて。ああ歯がゆい。
高点法の話を持ち出してる人なんかはこの点が全く理解できていないらしい。二盃口になるかどうかの議論をしてるのに「高い方として取る」ってのは既に二盃口になる事が前提の話なのに。
ともかく役の定義が個人で異なると言う事がよく分かるスレであります。「役の解釈」が違うからこそ完先ルールはあんなにもめるのでしょうね。