キン肉マン読破日記(13巻)

hirotashi2005-12-06

何事もなかったかのように再開。
よくよく考えてみれば、この作品ほど分かりやすく勧善懲悪を描いてる作品もないんじゃないでしょうか。主人公とその仲間が自ら「俺たちは正義(超人)だ」と言い、敵は敵で「悪魔(超人)だ」と名乗るわけですから。
キャラクターのほとんどが「超人」と呼ばれる存在であるこの作品は、同時にキャラをカテゴリ分けしたがる作品でもあります。悪魔超人の出現で正義と悪魔に分けられ、ジェロニモによってそれまではっきりされなかった「人間と超人は異なる生き物である」事が明確になりました。そしてこの巻では完璧超人と、いつのまにか定義された残虐超人とに分類されるわけですが、この「分類」こそが読者の視点を勧善懲悪をベースとしたものに固定させているのではないでしょうか。キャラ一人一人の行いを読者が判断するより「俺たちは悪魔だ」と名乗ってくれた方が楽ですし。
通して読んでいて思うのは、この作品で次から次へと出るキャラ=超人は、当初は実在のレスラーのパロディからキャラ作りしていたのが、次第に各国家の特色、そして何か「モノ」を、と元ネタの対象が変わって行ったんですね。
以前にも書いたかもしれませんが、このあたりになってくるともう人の形をした「モノ」と戦っているようにしか思えなくなって、当初のように「ヒーロー同士のプロレス大会」に見えなくなってくるんですよね。ケンダマンが普通のプロレス技であるサソリ固めをするのを見ると違和感を感じたり。
この巻から始まったタッグトーナメントでネプチューンマンとビッグ・ザ・武道はこの時点ではまだ肉体ひとつで戦っているわけで、ようやく読んでいてズルいと思わない敵キャラが出てきたという印象でした。すぐに次の巻では磁力で相手の体を引き寄せたり稲妻を両脇に抱えたりするんですが。
タッグトーナメント編の冒頭、正義超人達がキン肉マンに「君とはタッグは組めない」とわざわざ言うために集まるシーン、あれなんかとくに象徴的なんですが、これまでのシリーズで活躍した超人はみんな出るよと。「役者が揃ってますよ」と言わんかななシーンなんですよね。多数のキャラが戦うことを繰り返してきた作品だけに、ただ「誰と誰が組むのか?」を考えるだけでも楽しいわけで。この辺の盛り上げ方って現実のプロレスに倣っている気がします。