クライマックスシリーズが嫌われる理由

究極超人あ~る 1 (少年サンデーコミックス)

究極超人あ~る 1 (少年サンデーコミックス)

マンガ「究極超人あ〜る」で行われた1シーン。投手として野球部に入るつもりだった新入生の曲垣が「9アウト取るまでに1点取られたら光画部に入る」という条件で光画部と野球対決をすることになる。結果、打者が一巡したところで8アウトランナー三塁となり、二度目の打席に立ったさんごがサヨナラヒットを打つという幕切れだった。
ところでこの対決、要は「三回を無失点に抑えることができるか」という勝負なんだなと一瞬思って、すぐにそれとは違うことに気付いた。通常のルールとは一回が終わる毎に走者がリセットされないという点で異なる。たとえば3アウトや6アウトになる犠牲フライでも進塁できるわけだ。
その昔「野球はチェンジが多すぎて面倒くさすぎる。一回が3アウトで終わって九回まであるんだったら、27アウトで終わりにすればいい。これならチェンジ一回で済む」と言ったのは所ジョージだ。確かにこれなら手間が省けていいが、上に書いた通りこれは通常のルールと異なる。
テニスというスポーツの得点システムをざっくり説明するならば、4点を先取すれば1ゲーム、6ゲームを先取すれば1セット。そして5セットマッチならば3セットを先取したものが勝ちとなる。まるで60秒が1分、60分が1時間、24時間が1日という時間の単位に似て次々と繰り上がる。しかし時間と違うのは大きな単位に繰り上がるとき端数が切り捨てられるということだ。40分に20分を足せば1時間になるが、最初のセットで4ゲームを、次のセットで2ゲームを取ってもまだ1セット取ったことにはならない。
スポーツにおける得点・勝敗システムは、みなあるところで区切りをつけ、単位が繰り上がり、そしてその際に端数は切り捨てられるようになっている。野球ではアウトになる度にボールカウントはリセットされ、チェンジになれば残塁は無駄となり、そしてどんなに点差を縮めたとしても負ければ等しく一敗となる。
所ジョージシステムを使うならテニスは72点先取でいいはずなのだが、そうしないのは「あえて1点の価値に差をつけるため」だ。ワンサイドゲームを避ける演出であって、不公平は承知の上なのだ。
そういうわけで、プロ野球のクライマックスシーズン(以下CS)もそれまでのペナントレースという単位から繰り上がった上の単位であって、それまで積み上げてきた勝ち星が無駄になるという点はそれより下の単位で行われてきた切り捨てと一緒だ。だから「CSなんてペナントレースの価値を下げるだけの制度だ」という意見には、いや何を今更と言いたくもなる。切り捨てはスポーツについてまわるシステムじゃないか、と。
ただ一つだけ援護するならば、CSで得られる結果の単位がはそれまでと等しく「1勝」であるという点には確かに納得がいかない。単位は繰り上がって異なる単位に変わるのが普通だが、これは135試合の結果を一位と二位の間に1勝の差をつけるだけに落としこむ、いわばデノミネーションだ。
だからもう、CSで行われることは何か通常に比べて規模の大きい、価値があるように見えることでないといけないんじゃないか。普段の5倍広いグラウンドでプレーするとか、ベンチのメンバー全員同時に守備についていいとか、36ストライクでアウトになるとか、108回の裏までやるとか。それなら確かにCSでの1勝は普段の1勝より大きいよな、となるだろう。