タランティーノの撮る突然死

イングロリアス・バスターズ」見たよ
http://i-basterds.com/(注:音が出ます)

以下ネタバレ。
タランティーノの新作はやはりタランティーノらしくブラックでバイオレンス。戦争の悲哀を語ることも教訓を押しつけることもなく、ただ娯楽としての暴力を痛さたっぷりに魅せる。2時間半もあっと言う間だ。
主な舞台は第二次大戦中ドイツ占領中のフランスはパリ。だからフランス人はフランス語で、ドイツ人はドイツ語で、そしてユダヤ人のゲリラ舞台「バスターズ」達は英語と、ほんのちょっとのイタリア語で話す。劇中セリフの半数に英語字幕が当てられているという多言語映画。ハンス大佐なんてご苦労なことに四カ国語すべてでのセリフがあったぜ。
ところでタランティーノが描く暴力はいつも「タメ」がない。本作でも発砲シーンはどれも突然に撃たれ、狙いを定めるシーンもない。打たれる人間にとっては常に「予期しなかった死」だ。最後のブラピの発砲なんて打つ相手を見てもいない(!)。
バンと撃つだけで人が死ぬという、この銃という道具が、その道具を持ち歩いている人間が、そんな人間がたくさんいることを承知の上で成り立っているこの社会が、タランティーノにとっては面白くて仕方がないのだろう。だからみな撃たれて死ぬ者はあっけなく死ぬ。命乞いをする暇もなく、最後の言葉を遺すこともない。「ジャッキーブラウン」で車のトランクに隠れていたあの黒人の男はトランクの中の居心地の悪さを訴えている途中であったにも関わらず撃たれ、「パルプフィクション」ではたまたまトイレに入るため手放していたマシンガンを相手に奪われ多ギャングの男は驚いたままセリフもなく殺される。銃の前に人は無力だ。タランティーノの作品ではいつも銃は人よりも強い。
銃社会で暮らす人々が平気なのは「人はそう簡単に人を撃たない」と信じているからだろう。銃を持つ者全体の数から割合を計算すれば、撃たれて死ぬ危険に怯えて暮らす必要がないことはわからなくもない。ただ、撃たれて死んだ人々もまさか撃たれるとは思っていなかったことも事実だ。そのおかしさを映像にするとこうなる。
作品中、ショシャナの映画館でプレミア上映されたドイツ軍の英雄フレデリックの業績を讃える映画「国家の誇り」(いわゆる「劇中劇」)でのアメリカ軍は、皮肉なことに狙いを定めてから放たれた銃弾に当たって死ぬ。これが「フィクションでの死」だと言わんばかりに。
そしてその英雄を演じた本人は映写室で口説いた女に撃たれて死ぬ。そのときスクリーンに映る自分の姿とは対照的に、だ。
そういう意味で、この映画を「戦争もの」と分類するのは正しくない。死を覚悟した者達による戦地でのドンパチは描かれないからだ。どちらかと言えばギャングものだろう。国家をナワバリとし、総統をボスとしての。