額面通り受け取って何が悪い

千原ジュニアの暴挙(?)で『2ちゃんねる』大激論! 美術館で飲食注意され激怒

この問題そのものについてはあまり関心がない。

それよりもこの問題を受け、千原ジュニアを擁護する意見として「ジュニアが美術館で本気でキレたと思っている奴はアホ。テレビ上のネタとして言ってるだけだ。」というものを割と多く見かけたことが気にかかる。へえ、テレビで「キレた」と聞いてキレたんだなと受け止めるのはアホなことらしい。

以前松本人志が「あの外人をホンマに板尾の嫁やと思ってる奴もおるからね。アホやで。」という内容のことを言っていた*1。「板尾の嫁」とはガキの使いに度々登場する、板尾創路の横に立つ外国人女性のことである。番組中彼女自身の名前は公表されず、ただテロップに「板尾の嫁」と出るのみの存在だ。で、その板尾創路の横に立って「板尾の嫁」と紹介されている女性をそのまま板尾さんの奥さんなんだなと思うことが「アホなこと」らしいのだ。

もちろん自分あの女性が本当の嫁でないことは分かる。分かるが、分からない人間がアホだとは決して思わない。「板尾の嫁」と紹介されていても「板尾の嫁」ではないと見破れて当然だとは決して思わない。それを普通だとするのは番組を作る側の驕りではないだろうか。

「日本人はメディアリテラシーが足りない」と言われるが、しかしそれでも自分はテレビで流れる情報は基本的には真実であるべきだと思うし、いちいち疑うような見方が求められるような番組作りが普通であるような世界は正常ではないと思う。ガキの使いめちゃイケのような、ロケとコントの間に位置するような番組の見方が分からないという人が現れたとしても、それにより誤解が生じたとしても、それはその人の責任ではないだろう。「うちの番組は分かっている人だけ相手にしますよ」なんて、ずいぶんな殿様商売じゃないか。

以前ナイナイがラジオで「亀田興毅もカメラが止まれば敬語を話す」と世間から非難されていた彼を擁護したところまでは良かったが、「亀田をならず者としか見れない奴は(考えが)浅いよな?」という意見には賛成できない。世の中のほとんどの人は物事を額面通りに受け取る。それで普通だと思う。

*1:ガキの使い」だったか「放送室」だったか、記憶が定かでない