いきることと、ものをつくることと

火の鳥(5) (手塚治虫漫画全集)

火の鳥(5) (手塚治虫漫画全集)

手塚治虫の「火の鳥 鳳凰編」は茜丸と我王、二人の仏師を描いた作品である。像を彫ることを覚えた我王はそれまでと生き方を大きく変え、彫ることだけのために生きるようになる。
SFファンシーフリー (手塚治虫漫画全集)

SFファンシーフリー (手塚治虫漫画全集)

手塚の書いた別の短編「ドオベルマン」(「SFファンシーフリー」収録)は、神の啓示を受け星の一生をキャンバスに描き続ける男ドオベルマンの話である。彼は絵では食えないことを知りながらそれでも描き続け、連作を描き終えたところで力尽き息を引き取る。

手塚治虫研究家である夏目房之介氏によれば、手塚作品には主人公に表現者を据えることは少ないらしい。だがその多くない表現者達は決まって生きている間ただずっとものをつくり続ける。生きている時間をつくる時間に費やすのだ。

彼らがそこまで「つくりつづける」のはなぜだろう。

紙の砦 (手塚治虫漫画全集)

紙の砦 (手塚治虫漫画全集)

「紙の砦」では少年時代の手塚自身が登場する。戦争が終わって手塚少年は「やった、これでマンガが描ける!」と喜ぶのだ。手塚にとって、いきることはイコールマンガを描くことであるらしい。

表現者表現者を描くとき、多くの場合そのモデルは自分自身だ。彼らがものをつくるとき何を思うか自分自身がよくわかっている。


そうか。手塚自身が作品をつくりつづける表現者だった。