ボケツッコミの時間差の表現について

相変わらず「パタリロ!」を読んでます。10巻まで。
なにしろ30年ほど前の作品なので時事ネタや流行り言葉なんかがすんなり理解できないのは当然なのだけど、違和感を覚えるのはギャグのテンポ。というよりギャグとそれを受けるリアクション・ツッコミにかけるコマ割りだ。

パタリロがボケるコマに対し、ツッコミはその次のコマだ。もちろんそれはいいのだけど、ただボケのコマがパタリロの台詞一つだけになるので、ここでどうしても時が止まったように読めてしまう。つまりボケがスベったように。
記憶が確かなら、いわゆる少年誌で80〜90年代に連載されていたギャグマンガではこうは書かなかったと思う。手元にないので例が出せないのだけど、例えば「ハイスクール奇面組」や「ついでにとんちんかん*1なんかでは、ボケのコマがあったとしても台詞がボケのそれだけになることは少なかったはずだ。相手の台詞を受けボケるか、あるいは同じコマにツッコミも含まれるか、だ。こんなふうに↓

ただ子供の頃は「ボケとツッコミが同居するコマ」の方に違和感を覚えていたと思う。一つの絵でボケた人がツッコまれているということは、つまりボケたと同時にツッコまれたように見えるからだ。ちゃんと最後までボケを聞いた上でツッコんでいるのかと。ただそれもそのうちに気にならなくなったのは、マンガは右から左に向かって読むものだから、一つのコマの一つの絵でも右側が過去で左側が未来であると解釈するようになったからだ。マンガの中の一枚の絵は、止まっているように実は右から左に時間が流れているのだ。それは読者が読むのにかかる時間だけ。

*1:特にとんちんかんにはパタリロとの相似を感じる。パタリロ=抜作先生説。