そこにないものを、そこにいない人を描くということ


モテキ」、2巻22ページより。

モテキ 2 (イブニングKC)

モテキ 2 (イブニングKC)

我々がマンガを読んでいてこういうシーンに出会ったとき、もう「いつのまに般若の面を被ったんだ?持ち歩いているのか?」という疑問を持つことはない。こういうギャグとしての表現には慣れているから。マンガは時として「そこにないものが見えることもある」というものだということを認識しているからだ。
子供の頃に読んだギャグマンガはいろいろあったけれど、そのうちの一つ「ハイスクール奇面組」もこうした「キャラクターがギャグとして様々な格好に扮装する」シーンが多くあった。

たとえばこのような(ただしこれは続編「フラッシュ!奇面組」より)。当時小学生だった僕もやはり「どうして急にキャラの格好が変わるんだ?」という疑問を持ったことはなかった。子供の頃からマンガの文法を知っていたということだ。
ギャグマンガの古典で、多くの後続ギャグマンガ家に影響を与えたと言われる「マカロニほうれん荘」を読んだのは大人になってから。この作品でも同様にギャグのシーンで様々な扮装をするのだけど、驚くことにその扮装に使った衣装や着ぐるみを洗濯して干すシーンがある。つまりこの作品内での衣装はすべて実在するもので、キャラ達はギャグのために素早く着替えていたということになっているのだ。やや無理はあるものの、当時はまだ「コマの中に描かれた絵はすべて目に見えるもの」という原則があったらしい。考えてみればそれが自然なのだけど。

ところで。
先日「B型H系」を読んだ。

B型H系 1 (ヤングジャンプコミックス)

B型H系 1 (ヤングジャンプコミックス)

女子高生が主人公の4コママンガ。起承転結というよりは「フリ・フリ・フリ・ボケとツッコミ」という最近の4コママンガっぽい構成。
で、このツッコミなのだけど、これがたまに「その場にいないキャラ」が担当することがあるのだ。

主人公山田の自室での独り言。このときコマ左下の竹下はこの部屋にいないはず。
で、読み進めていくと「エロ神」というキャラが登場する。守護神というような設定だが要するに役割はツッコミだ。なるほど、さすがに不自然だと思ったのか、いつ登場してもいいキャラをツッコミにあてがうようにしたのか。
ところがさらに混乱する。さらに後の巻ではこのようなシーンが。

やはりツッコミとして登場するキャラはその場にいるらしい。いずれにせよ、この時点*1ではやはり「その場にいないはずの人」をギャグのために登場させるのに抵抗があるようだ。読者である自分もそう思う。
では今後はどうなるのか。これから数十年したらもうそんなことを気にする読者はいなくなるのか。そして古典としてこの「B型H系」を読んだとき「この時代のマンガにはコマの中に描かれた人物はすべてその場にいないといけないというルールがあったんだなあ」と思われるんだろうか。

*1:連載時は2008年